紀州焼 二代 寒川栖豊造 灰被 水指(十二代尋牛斎書付)(銘:布袋)
本日まで50%OFF!
(税込 ¥35,750)
通常価格 ¥65,000 (税込 ¥71,500)
外箱に破損があります。
状態は大変良いです。
商品番号:7705204
サイズ(cm)
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15.5 |
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紀州焼(きしゅうやき)
紀州藩で製造されていた陶磁器の総称。
文政期(1818~1830)頃に紀州徳川家10代藩主治宝(はるとみ)が京都の楽焼の陶工や永楽保全らに焼かせたのが始まり。江戸初期より甚兵衛焼、善明寺焼、南紀男山焼、御庭焼などの窯元が栄えたが、廃藩置県により閉窯となる。明治十一年に南紀男山焼が閉窯して紀州焼の歴史は一時途絶えたが、葵窯・初代寒川栖豊により昭和十二年に復興された。
寒川栖豊(さむかわ せいほう)
初代栖豊は澤田 宗山氏に師事、陶技を身に付けた。
師の推挙により愛知県窯業研究所長の職を経て、昭和七年に高野口小田原に開窯した。
一方その頃、次々と閉窯・衰微の一途を辿っていく紀州焼に、深く御憂慮されておられた旧紀州藩主 徳川 頼貞候は、この伝統ある紀州焼を継承し後世に伝える人物を探しておられた。
そのような折、頼貞候が栖豊の窯に訪ねて来られ、作品を鑑賞され高い評価を頂いた。
そして、頼貞候より紀州焼の復興を熱心に懇請され、栖豊もまたその熱意に感動し、紀州焼の復興に一生を捧げることを誓った。
頼貞候はそれを非常に喜ばれ「紀州焼 葵窯」の窯名を命名された。
その後、戦後の混乱の中貧苦と戦いつつも、研究腐心を続けていた那智黒釉を昭和三十一年に完成させ、更に紅志野、青磁、柿天目等にも力を注ぎ、
葵窯を発展させていった。
昭和三十七年には、昭和天皇・皇后両陛下が南紀行幸啓の際に抹茶茶碗を献上させて頂いた。
また、文化庁より文化財功労者として表彰、二年後日本橋三越で作陶展を催し、同年和歌山県より文化奨励賞を受け、引き続き、白浜町より無形文化財第1号に指定された。
享年七十七歳にて瑞宝双光章を受勲、様々な功績を収めた。
二代目 栖豊「寒川 次郎」
十九歳で初代に師事して以来、茶陶の道に邁進した。
父が生涯を掛けて復興させた紀州焼を途絶えさせる事のなきよう、また父が独自に生み出した那智黒釉を引き継ぎ、自身の個性を活かした作品造りに日夜精進して居る。
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