膳所焼 岩崎新定造 金彩松ノ絵茶碗(武者小路千家十三代有隣斎書付)(共箱)
状態は大変良いです。
商品番号:5106155
サイズ(cm)
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11.5 |
5.1 |
7.9 |
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武者小路千家
千利休を祖とし、二代千少菴を経て三代千宗旦の次男一翁宗守からはじまる。官休庵ともいう。歴代の名乗りは宗守。
● 四代 一翁宗守 1605~1675
塗師吉文字与三右衛門の養子になり甚右衛門と名乗っていたが、吉文字屋の
業を娘婿の中村宗哲に譲り千家に復した。
高松松平候に茶頭として仕えたが、辞して武者小路小川に官休庵を建てて武者小路千家を開いた。
●五代 許由斎文叔 1658~1708
はじめ甚四郎、のち宗守と改める。四代一翁宗守の子。
一翁宗守に続いて高松松平候に仕えた。
古器の鑑識に長じたとされる。
●六代 静々斎真伯 1693~1745
幼名は重治郎。五代許由斎の子。
筆蹟や好み物などから、才気、好芸の人で手作り茶碗も多い。また同家伝来の木守茶碗を自ら写し、本歌を高松松平候に献上した。
延享二年、五十三歳で亡くなる。
●七代 直斎堅叟 1725~1782
幼名は久之丞、節翁・一方庵・弘道庵と号す。六代静々斎の養子となった。
好みの茶道具に名取河香合、源氏車香合などがある。安永元年(1772)火災により建物を焼失したが同三年の一翁百回忌を迎えるに当たって再建した。
またその際に邸内の一隅に一方庵、十五畳敷の広間弘道庵の両席が好まれた。
武者小路千家中興の祖とされる。
天明二年五十八歳で亡くなる。
●八代 一啜斎休翁 1763~1838
川越兵庫頭の子、二十歳で七代直斎の養子となった。円明、渓澗、一方庵、
半宝庵、披雲庵と号した。
好みものが多く、ツボツボ棚、烏帽子棚、自在棚など新しい趣向の棚物がある。
天保九年七十六歳で亡くなる。
● 九代 好々斎仁翁 1795~1835
はじめ宗什、玄室、宗屋といったが、のち八代一啜斎の婿養子となり、好
斎と号した。裏千家九代不見斎の三男。
自作の茶杓や手作り茶碗も多く、楽焼以外に尾張の御深井などで志野風のものなどかなり多く残されている。
天保六年亡くなった。
●十代 以心斎全道 1830~1891
表千家十代吸江斎の弟で六歳のときに九代好々斎の養子になり武者小路千家に入り宗守を継ぎ、全道と号した。
八歳で失明したため好々斎の未亡人宗栄が門下の木津宗詮の協力を得て家職を代行したが、引き続き表千家より養子を迎え次を継がせた。
以心斎は代を譲ったあと宗安と号した。
明治二十四年、六十二歳で亡くなる。
●十一代 一指斎一叟 1848~1898
表千家十代吸江斎の次男、五歳のとき十代以心斎の養子になり、はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。
現在残されている祖堂(涛々軒)は一指斎の指図によるもの。達筆で七歳ごろの一行物が残っている。
明治三十一年五十一歳で亡くなる。
●十二代 愈好斎聴松 1889~1953
久田宗悦(表千家十代吸江斎の三男)の次男。五歳のときに十一代一指斎の養子に入る。はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。一指斎が亡くなったあと門人の廣瀬露香、木津宗詮が家元を代行した。
東京帝国大学史学科を卒業後茶湯の世界にはじめて論理的な批判を加え新風を打ち立てた。大正十五年(1926)官休庵を改築、昭和十五年の利休三百五十年忌には、弘道庵を再建した。著述も多数ある。
昭和二十八年六十五歳没。
●十三代 有隣斎徳翁 1912~1999
神戸の島屋に生まれ、十二代愈好斎の婿養子になった。はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。
京都帝国大学国史科卒業。昭和十六年に愈好斎の娘澄子と結婚、昭和二十八年に家督を継いだ。
千茶道文化学院の創設、財団法人官休庵の設立に尽くした。
平成元年に家督を譲り、宗安と号した。平成十一年八十六歳で亡くなる。
●十四代 不徹斎宗守 1945~
十三代有隣斎の長男。はじめ方一、のち宗屋を名乗る。
慶應義塾大学卒業、昭和五十五年から海外で講演や茶会を催し茶道の紹介に尽くしている。
平成元年に十四代を継いだ。
膳所焼(ぜぜやき)
膳所焼は徳川初期の元和年間に茶器を作り始めており、寛永13年に当時の膳所藩主・石川忠総が茶博士・小堀遠州の指導を得て遠州好みの茶器を焼き始めた。遠州七窯のひとつ。
初期の作品は大名たちの贈答用に作られており、精選した原料で熟練の職人によって作られており、茶入・水差しが多くみられる。
中期には藩主の庇護のもと細々と仕事が続けられていた。天明年間に小田原屋という人物が交趾風の梅林焼という陶器を始めたが間もなく中絶、続いて雀ケ谷焼という名で明治11年まで続いたが経営困難のため廃窯となった。
大正8年に膳所の岩崎健三が名窯の廃絶を惜しんで山本春挙とともに再興に生涯をかけ、今日では膳所焼は遠州七窯のひとつとして茶道界でも著名な存在になっている。
健三の後、長男の新定が窯を継ぎ膳所焼を守っている。
岩崎 新定(いわさき しんじょう)1913〜2009
陶芸家。膳所焼窯元。滋賀県大津市。
膳所藩主、石川忠総が小堀遠州の指導で作った膳所焼を再興させた岩崎健三の長男として滋賀に生まれる。遠州七窯の一つである膳所焼を受け継ぎ、膳所産の陶土と
鉄釉灰釉を使用して素朴な雅味と気品のある茶器を主に制作。
1985年 滋賀県文化賞を受賞、滋賀県伝統的工芸品に指定される
1987年 膳所焼美術館を設立し、理事長となる
1991年 通産省より伝統産業功労者表彰を受ける
2009年10月 96才没